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ハンディキャップをやめてみよう

経済の自由競争は貧富の差を産むけれど、その格差が広がり過ぎた時にそれを放置するのか、富の再分配をするのかを決められるのが民主主義だと僕は思っている。
個人の能力と努力によって差が生じるのは経済活動ばかりではないけれど、経済活動は仕組みとして富者の富を持続的かつ指数曲線的に増やす性質を持っているので、公平な自由競争もある程度の段階に至ったら、リセットしなければ公平さを損なう。
ボウリングで云うと、ハイアベレージの選手がゲーム開始のたびに加算されるハンディキャップを得るようなもので、アベレージ下位の選手が勝つ機会など、どんどん無くなっていく。
実際には、ゴルフやボウリングでは社交スポーツとして勝負の興味を保つために、競技力下位の者にハンディキャップを与えるという競技方法が存在する。
競技スポーツとしては、ハンディキャップは競技力のある者が本来持っている勝つ可能性を減じる制度であるから、競技ボウリングを目指すJBCがこれを用いず、いっぽう社交スポーツとしてのボウリングを目指すNBFはこれを重んじるのは当然のことであり、そしてボウリング場経営はスポーツ産業ではなく娯楽ホビー産業であるから、ボウリング場が社交スポーツとしてボウリングを捉えているのもまた、当然のことではある。
よってハンディキャップ算出の基となるボウラーの競技結果の記録保持が、ボウリング場の重要な業務のひとつとなる。
しかし、中にはハンディキャップを多く得るためにスコアを意図的に落とす、生活保護不正受給者のような悪質な者もおり、そうでなくても中級ボウラーが上達によってハンディキャップを減らしてしまい、かえって上位入賞の機会を減らすようなこともある。
累進課税制度でも、ボーダーライン上の納税者が昇給により手取り収入が減る現象が起こるけれど、ハンディキャップ制度でもなまじ上達してハンディキャップを減らし、結果的に順位を下げる場合があるのだ。
せっかくボウリングを面白く思ってくださり、熱心に練習して上達した人が、ハンディキャップが減ったばかりに順位を下げてしまうことは、「そういうものだ」と言われても残念に思えてならない。
だから僕は、ハンディキャップ制度は嫌いなのだ。
とは言え、完全な自由競争では一部のエリートボウラーばかりが勝ち残り、ボウリング産業は立ち行かなくなるだろう。
実力不均衡な状況に人工的な「平等」をもたらすとともに、練習による上達が活かされる自由競争の公平さを保つためには、性別・技量によってクラス分けした、ハンディキャップの無い競技方法が望ましいと思う。
累進課税制度同様にボーダーライン付近での不平等は残るものの、一律網羅的なハンディキャップ制度よりは、ボウラーの向上心に応えることが出来る。
上のクラスを目指す、という目標とステータスも産まれる。
参加者の少ないローカル競技会では難しいだろうけれど、累積参加者数の稼げるフリータイムコンペなら使えるだろう。
フリータイム期間中に上達してクラスが上がった者は、投げる都度に所属クラスを変えるというのも一興だと思う。

Published in ボウリング業界