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公益主義と義務論

朝からノンビリとテレビを見ていたら、先日のワールドカップ予選リーグ最終戦(対ポーランド戦)についての賛否が喧しい。
批判を恐れずに結果を求めた怜悧な計算を讃えるものもあれば、結果のために潔くない手段を選んだということへの批判も少なくない。
これがビジネスシーンだったのなら批判はあり得ないのだけれど、人はスポーツに結果以外の価値を求めるものなのだな。
この賛否両論の価値観のどちらも、僕は否定しない。
これは倫理学のトロッコ問題みたいなものだ。
公益主義的には「より大きな利益(決勝トーナメント進出)のために目先の利益(ゲームに勝つこと)を捨てる」選択は正義であり、カント的な義務論ならば「試合に臨む以上は最後まで勝利を追求しなければならない」のだから、不正義となる。
国際社会での信用を考えると、公益主義的な世論が優勢であったほうが国家は安全だ。
他国からの挑発的な軽蔑を愧じて蛮勇を振るう国家になってしまうと、大日本帝国の二の舞となる。
永久に「戦国時代」から脱却することのない地球人類の中で、美意識が優先し愚直に陥ることは、民族の危機を招く。
試合後にサポーターがスタジアムを清掃し、チームはファウルの少ないことが幸いして予選を突破する。
いかにも平和憲法の国らしいはないか。
次の試合で善戦し潔く散れば、国際世論からの敬意を大きく損ねることはないだろう。

Published in 身辺雑記